成り立ち

 

 今から約120年前、開言師本橋宗八により開教されました。

  本橋宗八は幕末の時代である嘉永三年(1850年)下総国肘谷(現在の茨城県下妻市)に生まれ、少時より世の中のために尽くすという志を持ちつづけ、十四歳にして郷里を去り、諸国を遍歴し、20年の艱難辛苦の末に九死一生に迫る身にして、常陸国我國山(現在の茨城県笠間市の吾国山)に入られ、この我國山上において、御自身の命を世の為に尽くさんとの真心が天に通じ、この世において人として踏み行うべき根本となる道理は、六神(むつのたましい)の通うことであり、そして尊ぶべき親の恩のめぐみと同じ道理に貫かれている方位の義理に基づくものであること、の教えを授けられ、病に苦しむ者をはじめとしてあまたの庶民の救済をなされ、世の人に自然に適った人としての道理を教え導かれました。

 開言師本橋宗八の教導には、人自身の内に天地自然の成り立ちを見出す事の重要性が説かれており、人としてのこゝろは自然という「親」のいとなみを離れては維持することが不可能である由縁を

 

  天地神明在家身

 

 (てんちしんめい「天地神明」 かしん「家身」にいます「在す」)という遺訓において示されました。

 そして、この世である自然そのものを成り立たしめる理(ことわり)と、人を、社会的な存在として人たらしめる根本義であり、人間社会において不可欠な運びである「法」、との双方が共に、自然という「親」の運びである「六神」(六ツのたましい)の通う道理に基づくものであることを、左右の律(さゆうのおきて)、すなわち「天律法律・国律法律」として

  天律

     左右ノ律ニ従フベシ

  國律

 の遺訓によって教え示されました。

 

 開言師本橋宗八は、我國神德社の教理を伝える上で、ものごとの根源(自然の道理)を人間にとってもっとも身近な、足元である人の住まう「場」から明らかにされました。そして人とは、自然そのものゝ運びとしての摂理(天律法律)と人の世(国家・社会)の要である法律(國律法律)との、左右の理(ことわり)により支えられてこその「人」であると言うことを明らかにされたのであります。